唐ゼミ☆について

唐ゼミ --フラジャイルな運動体 (室井尚)

 唐十郎の演劇を愛する者ならば、その核に子供の「フラジリティ(壊れやすさ)」というようなものが潜んでいることに同意してくれるだろう。唐の演劇は肛門期を脱するか脱しないかの時期の子供だけが持っている震えるような感受性を呼び覚まし、そこに強く訴えかけてくる。

 その意味で成熟や円熟ほど唐の世界から遠いものはない。「状況劇場」から「唐組」へと、唐のキャリアは四十年に及ぶが、唐自身もその演劇も、常にこのフラジャイルな幼形の時空と密接に結びついている。これはけっしてマンネリとか自己反復とかいうものではない。
ここに紹介する二十歳前後の若者たちによる「唐ゼミ」という集団が持っている危うい魅力もまた、こうした「はかなさ」「壊れやすさ」と深い関係があるように思えてならない。
 ※ ※ ※
 一九九七年十月、唐十郎は横浜国立大学教育人間科学部教授に就任した。その初講義は黒板をぶちやぶって登場してくるという派手なものであり、さまざまなメディアの注目を集めた。だが、新学部開設に伴う人事であったために、ゼミに所属する三年生が誕生する二〇〇〇年まで唐には大教室での授業しかなく、学生との関わりも希薄だったのである。
 初めてのゼミ生が生まれて張り切った唐は、研究室に小さな舞台を作り、学生の手による演劇を作ろうとした。だが、唐が一方的に期待を寄せ、短編小説を素材にしたオリジナル戯曲を書けと言われたある学生はプレッシャーに押し潰されて逃亡してしまい、その代わりに久しぶりの秋公演新作『鯨リチャード』を唐が自分で書き上げてしまった。結局はその年度末の二〇〇一年一月に、自分の演出で処女作『二四時五三分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』を一日だけ上演した。これが「唐ゼミ・第一回公演」ということになる。
 この時、現在の「唐ゼミ」の演出家・中野敦之は二年生でまだゼミ生ではなかった。中野は唐十郎に憧れて横浜国大を受験してきた学生であり、一年の時から学内演劇サークル「三日月座」に所属するとともに、テント設営に一人で乗り込んで唐組の内部に溶け込むなど、常に唐の周辺に身を置いていた。
 同じ頃、中野は椎野裕美子、禿恵らと共に演劇サークルを脱退し、「八秒台劇場」を立ち上げる。劇団名を唐に報告した中野が「人間はまだ百メートルを八秒台で走ったことがないですから、人間の限界を超えたいという意味です」と言ったのに対して、唐が真面目な顔をして「でも、チーターは五、六秒で走るよね」と言ったのがおかしかった。
 中野や椎野、禿たちがゼミに加わり、俄然活気が生まれてきた。その年の夏に室井が国際現代美術展「横浜トリエンナーレ」に出品した全長五十メートルの巨大バッタ・バルーンを高層ビルに取り付けるという過酷な作業に参加した学生たちも多数そこに合流し、中野が率いる「唐ゼミ」はもはや授業や大学の枠組を超えて膨れ上がっていった。その多くが「演劇」や「芸術」には関心がない「ただの学生」だったのもこの集団の特徴である。今では卒業した学生もこの集団に留まるようになってしまっている。
 ※ ※ ※
 二〇〇一年の十二月に、「唐ゼミ」は中野演出で第二回公演『腰巻きお仙--義理人情いろはにほへと篇』を大学サークル棟で二日間上演。唐が喜んで、緑魔子と大久保鷹を連れてきたのもこの時である。この公演はまだ不馴れな部分が多く、装置や照明も原始的なものだったが、逆にその野蛮さ、むき出しの若さから弾けるパワーが新鮮だった。唐はこの公演をひどく気に入り、自分の周りの演劇関係者たちに広く宣伝した。このことが学生たちに大きなプレッシャーとなったことは言うまでもないが、彼らにはそれをはね返すだけの力と才能が伴っていた。
 その後、新堀航、舞台美術の松浦香里が本格的に参加するようになって、現在の「唐ゼミ」の陣容が整い、二〇〇二年の五?六月に第三回『ジョン・シルバー』が上演された。この時五月の公演で余りの素晴らしさに驚嘆したぼくは、関西の友人たちやニューヨークから来ていた日本演劇研究者にまで声をかけ六月公演に呼びつけたが、彼ら全員が絶賛してくれた。演劇の原点のような荒々しさと野蛮さに加えて、椎野、新堀、禿といった役者たちが緊張の糸が切れることのない繊細で力強い演技を見せてくれた。そして何といっても唐から借り受けた初代紅テントを生かした中野の演出が見事だった。
 その後、「唐ゼミ」は同年秋に第四回『動物園が消える日』、今年の春に第五回『少女都市からの呼び声』、そして金沢特別公演として八月には『動物園が消える日』を再演した。この秋には『鉛の心臓』を大学、新宿、大阪で上演することになっている。
 唐がよくある演劇教室やワークショップのような手法を一切とらず、学生だからと妥協せずにいつも本気で彼らにぶつかり、崖っ縁に追いつめることで彼らの力を引き出そうとする。そして、それに応えるだけではなく、唐を驚かせるような何倍ものアイディアを投げ返してくれる若者たちがいる。大学で教えるようになって二十年以上たつが、こんなのは見たことがない。
 彼らは「プロ」ではない。当然、未完成で未熟な部分が多い。初めての出演者やスタッフも必ず混じっている。毎日の公演の質も極度に異なっているし、不安定と言えば不安定きわまりない。だから、彼らは「プロ」を目指さないし、「完成度」を競おうとはしない。「プロ」の反対語はけっして「アマチュア」ではない。プロフェッション--つまり、社会の枠組の中にきちんと位置づけられた場所から外れた、もっと原初的で野生の表現のあり方を目指しているのである。したがって、それはどこにも位置づけられないフラジャイルな空間でしかありえないし、国立大学という空洞化した文化装置を利用することでかろうじて実現できている集団である。「唐ゼミ」の現在の形態での活動期間は唐が大学を定年退職する二〇〇五年三月までである。その短期間に彼らがどれだけ変化し、燃焼することができるか。世の中のどこにもない、不安定だが強度に満ちた瞬間を今後いくつ作り出していくことができるか?これは大人たちにとってもめったに体験することのできないスリリングな楽しみであるはずだ。