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<title>唐ゼミ☆について</title>
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<modified>2005-05-15T19:16:47Z</modified>
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<title>劇団名変更「唐ゼミ」から「劇団唐ゼミ★」へ</title>
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<dc:subject>唐ゼミ☆について</dc:subject>
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<![CDATA[<p>各位<br />
　いつもお世話になっております。<br />
　さて、これまで横浜国立大学にて唐十郎教授のもと、<br />
活動を続けてまいりました集団「唐ゼミ」は、本年五月より、</p>

<p><img alt="karazemi_logo.jpg" src="http://redg.info/~karazemi/about/archives/karazemi_logo.jpg" width="232" height="52" /></p>

<p>と名前を改め、正式に劇団として再出発することになりました。</p>

<p><br />
　</p>]]>
<![CDATA[<p>今後、師である唐十郎とは、大学教授と生徒という関係を超え、<br />
演劇における一生の師弟関係としてお付き合いいただくことになっております。<br />
また、これまでの活動の母胎であった横浜国立大学教育人間科学部マルチメディア文化課程には、<br />
いまだ劇団員の半数が在学生であることもあり、「舞台芸術論」などの授業と連動して、<br />
稽古場等の支援をいただけることになっております。<br />
今後とも皆さんの暖かいご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。<br />
　<br />
　なお、今後の活動として七月上旬に『煉夢術』公演（場所未定）、<br />
また９−１０月にかけまして新国立劇場にて『盲導犬』『黒いチューリップ』の日替わり公演を予定しております。<br />
詳細決まり次第、追ってご案内させていただきますので、その際よろしくお願い申し上げます。</p>

<p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　劇団唐ゼミ★代表　中野敦之　　　</p>]]>
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<title>唐ゼミ --フラジャイルな運動体　（室井尚）</title>
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<modified>2005-04-20T10:13:45Z</modified>
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<summary type="text/plain">　唐十郎の演劇を愛する者ならば、その核に子供の「フラジリティ（壊れやすさ）」とい...</summary>
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<dc:subject>メディア掲載</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　唐十郎の演劇を愛する者ならば、その核に子供の「フラジリティ（壊れやすさ）」というようなものが潜んでいることに同意してくれるだろう。唐の演劇は肛門期を脱するか脱しないかの時期の子供だけが持っている震えるような感受性を呼び覚まし、そこに強く訴えかけてくる。</p>]]>
<![CDATA[<p>　その意味で成熟や円熟ほど唐の世界から遠いものはない。「状況劇場」から「唐組」へと、唐のキャリアは四十年に及ぶが、唐自身もその演劇も、常にこのフラジャイルな幼形の時空と密接に結びついている。これはけっしてマンネリとか自己反復とかいうものではない。<br />
 ここに紹介する二十歳前後の若者たちによる「唐ゼミ」という集団が持っている危うい魅力もまた、こうした「はかなさ」「壊れやすさ」と深い関係があるように思えてならない。<br />
　※                      ※                      ※<br />
　一九九七年十月、唐十郎は横浜国立大学教育人間科学部教授に就任した。その初講義は黒板をぶちやぶって登場してくるという派手なものであり、さまざまなメディアの注目を集めた。だが、新学部開設に伴う人事であったために、ゼミに所属する三年生が誕生する二〇〇〇年まで唐には大教室での授業しかなく、学生との関わりも希薄だったのである。<br />
　初めてのゼミ生が生まれて張り切った唐は、研究室に小さな舞台を作り、学生の手による演劇を作ろうとした。だが、唐が一方的に期待を寄せ、短編小説を素材にしたオリジナル戯曲を書けと言われたある学生はプレッシャーに押し潰されて逃亡してしまい、その代わりに久しぶりの秋公演新作『鯨リチャード』を唐が自分で書き上げてしまった。結局はその年度末の二〇〇一年一月に、自分の演出で処女作『二四時五三分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』を一日だけ上演した。これが「唐ゼミ・第一回公演」ということになる。<br />
　この時、現在の「唐ゼミ」の演出家・中野敦之は二年生でまだゼミ生ではなかった。中野は唐十郎に憧れて横浜国大を受験してきた学生であり、一年の時から学内演劇サークル「三日月座」に所属するとともに、テント設営に一人で乗り込んで唐組の内部に溶け込むなど、常に唐の周辺に身を置いていた。<br />
　同じ頃、中野は椎野裕美子、禿恵らと共に演劇サークルを脱退し、「八秒台劇場」を立ち上げる。劇団名を唐に報告した中野が「人間はまだ百メートルを八秒台で走ったことがないですから、人間の限界を超えたいという意味です」と言ったのに対して、唐が真面目な顔をして「でも、チーターは五、六秒で走るよね」と言ったのがおかしかった。<br />
　中野や椎野、禿たちがゼミに加わり、俄然活気が生まれてきた。その年の夏に室井が国際現代美術展「横浜トリエンナーレ」に出品した全長五十メートルの巨大バッタ・バルーンを高層ビルに取り付けるという過酷な作業に参加した学生たちも多数そこに合流し、中野が率いる「唐ゼミ」はもはや授業や大学の枠組を超えて膨れ上がっていった。その多くが「演劇」や「芸術」には関心がない「ただの学生」だったのもこの集団の特徴である。今では卒業した学生もこの集団に留まるようになってしまっている。<br />
　※                      ※                      ※<br />
　二〇〇一年の十二月に、「唐ゼミ」は中野演出で第二回公演『腰巻きお仙--義理人情いろはにほへと篇』を大学サークル棟で二日間上演。唐が喜んで、緑魔子と大久保鷹を連れてきたのもこの時である。この公演はまだ不馴れな部分が多く、装置や照明も原始的なものだったが、逆にその野蛮さ、むき出しの若さから弾けるパワーが新鮮だった。唐はこの公演をひどく気に入り、自分の周りの演劇関係者たちに広く宣伝した。このことが学生たちに大きなプレッシャーとなったことは言うまでもないが、彼らにはそれをはね返すだけの力と才能が伴っていた。<br />
　その後、新堀航、舞台美術の松浦香里が本格的に参加するようになって、現在の「唐ゼミ」の陣容が整い、二〇〇二年の五?六月に第三回『ジョン・シルバー』が上演された。この時五月の公演で余りの素晴らしさに驚嘆したぼくは、関西の友人たちやニューヨークから来ていた日本演劇研究者にまで声をかけ六月公演に呼びつけたが、彼ら全員が絶賛してくれた。演劇の原点のような荒々しさと野蛮さに加えて、椎野、新堀、禿といった役者たちが緊張の糸が切れることのない繊細で力強い演技を見せてくれた。そして何といっても唐から借り受けた初代紅テントを生かした中野の演出が見事だった。<br />
　その後、「唐ゼミ」は同年秋に第四回『動物園が消える日』、今年の春に第五回『少女都市からの呼び声』、そして金沢特別公演として八月には『動物園が消える日』を再演した。この秋には『鉛の心臓』を大学、新宿、大阪で上演することになっている。<br />
　唐がよくある演劇教室やワークショップのような手法を一切とらず、学生だからと妥協せずにいつも本気で彼らにぶつかり、崖っ縁に追いつめることで彼らの力を引き出そうとする。そして、それに応えるだけではなく、唐を驚かせるような何倍ものアイディアを投げ返してくれる若者たちがいる。大学で教えるようになって二十年以上たつが、こんなのは見たことがない。<br />
　彼らは「プロ」ではない。当然、未完成で未熟な部分が多い。初めての出演者やスタッフも必ず混じっている。毎日の公演の質も極度に異なっているし、不安定と言えば不安定きわまりない。だから、彼らは「プロ」を目指さないし、「完成度」を競おうとはしない。「プロ」の反対語はけっして「アマチュア」ではない。プロフェッション--つまり、社会の枠組の中にきちんと位置づけられた場所から外れた、もっと原初的で野生の表現のあり方を目指しているのである。したがって、それはどこにも位置づけられないフラジャイルな空間でしかありえないし、国立大学という空洞化した文化装置を利用することでかろうじて実現できている集団である。「唐ゼミ」の現在の形態での活動期間は唐が大学を定年退職する二〇〇五年三月までである。その短期間に彼らがどれだけ変化し、燃焼することができるか。世の中のどこにもない、不安定だが強度に満ちた瞬間を今後いくつ作り出していくことができるか?これは大人たちにとってもめったに体験することのできないスリリングな楽しみであるはずだ。</p>]]>
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<title>『唐ゼミ』プロフィール　(室井尚)</title>
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<issued>2005-04-08T09:30:14Z</issued>
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<summary type="text/plain">　唐十郎は1997年から横浜国立大学教授として舞台芸術論を講じている。その唐の下に集まった学生によるゼミ公演から始まったのが 「 唐ゼミ 」である。
横浜国立大学教授・兼唐ゼミサポーター  室井尚</summary>
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<name>karazemi</name>


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<dc:subject>唐ゼミとは？</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　唐十郎は1997年から横浜国立大学教授として舞台芸術論を講じている。その唐の下に集まった学生によるゼミ公演から始まったのが 「 唐ゼミ 」である。</p>]]>
<![CDATA[<p>　2001年1月に第一回公演「２４時５３分『塔の下』行は竹早町の駄菓子屋の前で待っている」（唐の処女作）、１２月に第二回公演「腰巻お仙・義理人情いろはにほへと篇」、2002年５?６月には大学構内に、状況劇場初代・二代目の紅テントを建てて第三回「ジョン・シルバー」、さらに11月には第四回「動物園が消える日」の公演を行ない、2003年５月６月には、第五回紅テント公演「少女都市からの呼び声」、さらに東京でのホール公演や金沢、名古屋、福岡などでの公演も予定されている。<br />
　中心となってきたメンバーが卒業した後もこの集団に留まることなり、「唐ゼミ」は横浜国立大学に拠点を置ながらも、学生劇団の枠を超えた活動を展開しようとしている。<br />
　若い世代が唐十郎の「言葉」と初めて出会い、唐の指導を受けながらも、長い時間をかけて独自の演出、独自の舞台空間を作り出していくことによって、「アングラ」演劇という固定概念に縛られてきた唐十郎作品の時代を超えたアクチュアリティと普遍性を現代に蘇らせることに成功している。それは成熟した大人の観客にとっても新鮮な驚きである。</p>

<p>　長い冒険の旅に出たばかりの若い彼等をどうぞ温かい目で見守って下さるようどうぞよろしくお願い申し上げます。</p>

<div style="text-align:right"><strong>横浜国立大学教授・兼唐ゼミサポーター  室井尚</strong></div>]]>
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<title>唐ゼミについて　（中野敦之）</title>
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<issued>2005-04-08T08:29:56Z</issued>
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<created>2005-04-08T08:29:56Z</created>
<summary type="text/plain">　ちょっと聞いただけでは、非常にその実態をつかみにくい集団であると思う。よってここに一文を添えたい。後ろにくっついている「ゼミ」というのは横浜国立大学のゼミナール、「唐」は担当教官の苗字で、もちろん唐十郎のことである。「唐ゼミ」という言葉自体は、唐さんご自身も覚えておられることと思う。ただその実態というと、教官自身いまだにかなりあやしい。唐ゼミ代表･演出  中野敦之</summary>
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<dc:subject>唐ゼミとは？</dc:subject>
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<![CDATA[<p>　ちょっと聞いただけでは、非常にその実態をつかみにくい集団であると思う。よってここに一文を添えたい。後ろにくっついている「ゼミ」というのは横浜国立大学のゼミナール、「唐」は担当教官の苗字で、もちろん唐十郎のことである。「唐ゼミ」という言葉自体は、唐さんご自身も覚えておられることと思う。ただその実態というと、教官自身いまだにかなりあやしい。</p>]]>
<![CDATA[<p>　一体、教職に就かれてから六年目の今日、彼は「ゼミナール」とは何か、それに絡んで取得される「単位」とは何か、気付いておられるだろうか？　それどころか彼は「大学教授」という立場そのものに対して、今尚あまりにも無頓着な節が多々見られる。いよいよあやしい。</p>

<p>　三年前、誰彼の意志に関係なく、制度的な理由のみによって「唐ゼミ」がスタートしたとき、我々生徒たちは一瞬にして上に記した疑問に到達した。当時、お互いに何をしてよいのかわからず、手さぐりの時期が続いた。演劇以外に関して全く不慣れな唐さんにあっては、かなり悩まれたことと思う。他のゼミを模倣するように、シェイクスピアやギリシャ悲劇がとりあげられたことも記憶するが、あくまで唐十郎というフィルターを介して、ただひたすら放埓な物語へと書き換えられていったそれである。とにかく90分の間、全く対話ができないのである。一方で相手は唐十郎、圧倒的な他者に出会いながら、その魅力に薄々気付かないわけにはいかなかった。前半半年間は殊にはがゆい思いをした。<br />
　結局、我々は研究室内にささやかな舞台を作ってもらい、そこでの稽古を通して唐さんとの会話の共通項を探ることにした。唐十郎と演劇とはおそらく必要十分の関係である、為に一番単純な方法を選んだのだ。また、本番を想定しない稽古はありえないので、三十人も入れば満員の公演がその後に付け加えられた。台本は唐作品の中から、背伸びして背伸びして選ばせてもらった。<br />
　以上、我々が「ゼミ」という名前を冠しながら演劇の実践に至った経緯である。</p>

<p>　以来、幾らかの作品がまがりなりにも実際に上演された。その過程で唐さんご自身の劇団、唐組の皆さんには大変なご助力を頂きながら、とにかく一回目、唐さん自身の処女作「24時53分塔の下行は竹早町の駄菓子屋の前で待っている」に始まり、「腰巻お仙、義理人情いろはにほへと編」「ジョン･シルバー」と初期作品に続き、第四回には近作「動物園が消える日」が上演されたところで現在にいたっている。その間、公演のハードにあたる、いわゆる小屋の様子も変化した。第三回からぼくたちは室内での上演を止め、唐さんの好意に甘えて初期の紅テントをお借りし、大学内、実験に使われた化学薬品の埋められている丘の横での野外公演を始めた。何しろ初期のころのものである、初めてこれをたてた日、この中を闊歩していた伝説的な俳優たちを思って興奮すると同時に、一方で大変恐縮もした。もっとも数日後の豪雨は簡単にぼくらを追いつめ、すぐにこれらの感慨を吹き飛ばしてしまったが。</p>

<p>　舞台に立つ劇団員、では無くて「ゼミ生」や客席にも変化が生じた。<br />
　新入生が入ると僕らは早速、「特権的肉体」の狩猟を始める。ここに三年次からという「ゼミ」のルールは早くも崩壊した。現在では他学部からの参加者も含め、その数30?40くらいであろうか。積極的曖昧さを良しとする私にとって正確なそれはどうでもよい。主要なメンバーを軸として周縁を幾らかの層が取り巻いている状況に対して、近々分裂の危機を迎えるかもしれないと唐さんは歓んでいる。<br />
　客席に関しては背筋が凍る思いがする。当初観客は唐教授の授業を履修する学生たちだったが、ある日、怪優大久保鷹と緑魔子が現れぼくらを恐怖のどん底に叩き込んだ。その後、唐組の方々はじめ劇団新宿梁山泊の面々、また花園神社等でお見かけする唐さんの熱烈なファンの方々も少しずつお越しいただいている。我々にとっては最も手厳しい試験官である。一般学生のレポート提出日といったところか。</p>

<p>　最後に唐さん自身の一言を添えたい。<br />
　ある日のゼミ中、研究室で大声を出していた我々に、隣の部屋で授業をしていた教官が怒鳴り込んだ。<br />
　「お前ら、なに遊んでんだ！」<br />
　そこには唐さん本人もいた。気まずい沈黙の後事態は事なきを得たが、さすがは唐十郎、後に学生たちのためのゼミ紹介の席でこの言葉を引用した。<br />
　「授業をしているのか、遊んでいるのか、それがいまだにわからない。」</p>

<p>　そろそろ校外授業を、街での夜遊びを教えていただきたい。</p>

<div style="text-align:right"><strong>唐ゼミ代表･演出  中野敦之</strong></div>]]>
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