公演情報
第八回公演 『黒いチューリップ』

・横浜国立大学公演
日程:2004年11月12日,13日
場所:横浜国立大学教育棟八号館裏 特設蒼テント
・横浜公演1
日程:2004年11月18日、19日、
場所:横浜市立戸塚高校
・横浜公演2
日程:2004年11月26日,27日
場所:沢渡中央公園
・東京公演
日程:2004年12月18日、19日、
場所:新宿梁山泊アトリエ 満天星
・黒い花弁 大回転!
この作品は1983年、渋谷のPARCO西部劇場(現PARCO劇場)で上演された。初演時の演出は蜷川幸雄である。声帯模写のエコー役で柄本明が出演した。
柄本は前年の1982年に本多劇場のこけら落とし公演『秘密の花園』で緑魔子と共演し、唐十郎作品と初めて出会った。80年代のこうした共同作業を経て、98年には映画『カンゾー先生』に出演、再び唐十郎と顔を合わせている。この映画は「毎日コンクール」の日本映画優秀賞を受賞し、柄本自身も「日本アカデミー賞」の最優秀主演男優賞を受賞した。
『黒いチューリップ』の初演時には、100台のパチンコ台をずらりと並べ、100人を超える出演者が舞台を駆け回るなど、息を飲むような大スペクタクルが繰り広げられた。また本物のタクシーを舞台上の池に沈めるなど大掛かりな舞台装置も見せ場だったらしい。これに対し唐ゼミがどのようなアイディアと趣向で挑んでいくのかが、公演の大きな見所であった。
・キャスト/スタッフ
演出/中野敦之
音響/田村団 禿恵
照明/斉藤亮介
制作/椎野裕美子
ケイコ…椎野裕美子
エコー…土岐泰章
春太…渡辺幸作
菊池…安達俊信
サワヤカ少年…古川望
泡小路…新堀航
天魔…前田裕己
サキ…杉山雄樹
ナルヒサ…伊吹卓光
グリコ…田村団
ヤヨイ…伊東しげ乃
警官…小川尊
ノブコ…禿恵
客/タクシー運転手/警察学校生徒/景品買い
…小林佑基 倉内智史 中村香織 森未知夫
関緑 飯田祥一 小野里美 儀間真瀞
平野建 山崎雄太
・公演写真
・ビラ

唐十郎『黒いチューリップ』を語る
密閉症のヒロインと二人三脚したらどうなるかということを楽しみにして書いた芝居だったね
対談 黒い花に導かれる迷宮の物語
唐 今回の『黒いチューリップ』、何年ぶりになるかな?
中野 初演が一九八三年ですから、だいたい二十年ぶりになりますね。初演は蜷川さん演出でした。蜷川さんと唐さんが組んだ作品では、『盲導犬』、『唐版滝の白糸』、『下谷万年町物語』に続いて四作目、そして最後にあたる作品ですね。
唐 そうだね。『黒いチューリップ』は八一年の『下谷万年町物語』の続きというか、その流れで書いたんだ。それと忘れられないのは、『ノブコが帰る家』というぼくが書いた小説があるんだけど、その取材で横浜まで行ったことだね。
中野 当時のパンフレット を見ると保土ヶ谷のタクシー会社に取材に行っと書いてありますね。横浜国大があるのも保土ヶ谷です。
唐 そのタクシー会社がある町は、路地のドブにはめ板がしてあったりして、ちょうどノブコが住んでいるような町だったんだ。その町を行ったり来たりしながら、ノブコはどんな人なのかなと考えながら書いたその小説のモチーフを、もっと膨らませて芝居にしてみたいと思って書いたのが『黒いチューリップ』だったんだよ。
中野 だから、『黒いチューリップ』には、『下谷万年町物語』に近いスケールの大きさとパチンコ台のチューリップといった細やかなモチーフが混じり合っていますよね。
唐 それとね。政治的なストラッグルの世界を背景にしたデュマの小説があって、それも応用してみようと思ったのね。それともうひとつ、谷川に咲く黒百合を引っこ抜くと世界がひっくり返るという泉鏡花の小説『黒百合』ね。それをもっと暗黒にひっくり返すようなものとしての黒いチューリップにして、それを秘めているノブコという存在を追いかけてみたいなと思った。
中野 確かに、ノブコは、常に太陽を避けて日傘をさしていたり、登場するときにはカラスがバサバサ舞うようなイメージで、今で言うひきこもりの最たるものという感じですよね。
唐 そうだね。ひきこもりの原型だったんだね。それからね。ギリシャ神話の中に迷宮神話ってあるでしょ。少年が大人になるための通過儀礼として、迷宮の中心にいる牛の化物と戦って脱け出すという話。それを案内する女性がアリアドネで、案内されるのがテセウス、結局アリアドネに連れられて赤い紐をつたって迷宮から出るんだけど、迷宮を出た後にテセウスはアリアドネを捨ててしまうという悲しいラブロマンスだよね。だけど、もしそのアリアドネがノブコだったらどうするか、ということも考えて書いた芝居でもあったんだ。
つまり、少年を大人にするために導いたのがアリアドネだったんだけど、それが黒いチューリップの化身のようなノブコだったら、まず迷宮を脱け出してはこられないなあと思ったのね。だから、そういうひきこもりというか密閉症のヒロインと二人三脚したらどうなるかということを楽しみにして書いた芝居だったね。
中野 お話を伺っていると一〇〇人以上の登場人物が出てくるということでスケールの大きさばかりが目につき易いですが、モチーフは明らかにもっと小さな空間に向いている作品ですよね。なんだかぼくらにも少し自信が出てきました。
唐 そうだね。唐ゼミの青テントで見られるのを、ぼくもすごく楽しみにしてるよ。
盲導犬に寄せて ——皆川知子
今回もまた、唐十郎の人間への愛と残酷さが渾然となったことばの奔流に、目の眩むような思いをした。夫に元恋人の手紙をロッカーに封印された女と、不服従の盲導犬ファキイルをさがす盲人の男が、新宿のコインロッカーで出会う。唐ゼミのダブルキャストによる公演で、ヒロインの奥尻銀杏を演じた椎野裕美子と禿恵が、まったくちがう二人の銀杏を見せた。
椎野の目には、つねに、不服従の盲導犬ファキイルをおもわせる攻撃性と孤独が宿っている。彼女には、盲人の影破里夫、元恋人で現在盲導犬学校の研修生タダハル、そして亡夫とのあいだに、男女の物語がある。が、椎野の銀杏が請い求めるのは、男の愛や性の解放ではない。彼女は、南国でキャバレーの女に撃たれた亡夫に犬の胴輪をはめられると、狂喜して舞台上を走り回る。彼女が求めるのは、社会に向けた不服従の姿勢ですらなく、ひたすら社会との関わりを拒絶し、自らを内に閉じて完結する絶望と快感である。終幕、開いたロッカーの向こうから飛び出したファキイルの影に、銀杏はのどを噛み切られる。
血を浴びてふり向いたその顔が、ファキイルの物語を、我々から奪って自分のものにせんと輝く。このとき、自分たちの敵が、銀杏や破里夫を襲った自警団の者たちではなく、銀杏自身であったと知り、観る者は戦慄する。
一方、禿の銀杏は、三人の男たちに対して妻、母、女となる。彼女の妄想のなかで、新宿のコインロッカーと、夫が死んだ南国の海が、何度も入れ替わる。その度にロッカーの冷たい銀板に映し出されるオレンジ色の海が、椎野では鮮血のイメージであったのに対し、禿の場合は男たちへの慈愛のイメージとなる。ファキイルは、男たちの社会に対する鬱積した感情とロマンの象徴だ。彼女はこれに対決を挑むのでもなければ、追従するのでもない。ファキイルにのどを噛み切られたとき、彼女の苦しげだが、どこかおだやかな表情は、許しという言葉が、じつはこの物語に秘められていると信じさせる。
幕切れ、テントの舞台奥がはねあげられ、観客の眼、前にひらけた外の空間へと主人公が吸い込まれるように去っていく。東大駒場小空間の公演では、舞台奥を開けてもなお、銀板の塀が視界をふさいで立っていた。椎野はその塀にへばりつくように寄り添い、そのまま下に崩れていく。ロッカーの中に自らを永遠に閉じ込めた、女の成就の姿である。そして横浜の沢渡中央公園では、遠くまで見とおせる広場の芝生が、一人去っていく禿の周りで海のようにざわめいていた。もしこの広場に、何十頭もの盲導犬の群れがひしめきあっていたら—と夢想するのは、観る側のわがままだろうか。(CLP クリティック・ライン・プロジェクトにて掲載ホームページ http://www.clp.natsu.gs/)
【みながわ ともこ・東京芸術大学大学院美術研究科在籍】
